平凡だった平成最後の夏
なぜ夏はこんなにもセンチメンタルになるのだろう?
そんなことをボンヤリ考えていたら、 気付けば「平成最後の夏」は終わった。
周りの平成生まれの友人の中には、センチメンタルさからか(このままヌルっと終わらす訳にはいかなかったのだろう)、写真展を開く人や、はたまた平成生まれ限定の一夜限りのクラブイベントを開いたりだとか。そういうことをする人たちがいたことを覚えている。貴い行いだなと思う。
そんな様子を傍から見ていた僕は、何をしていたかというと、特別なにをする訳でもなく、27回目の夏を過ごした。
正直少し後悔もしている。けれども、それは平成最後の年だったのに、というようなその時限りのセンチメンタルさから来ているだけでは無いとも思っている。
最近、夏を迎える度に思うことがある。
あと人生で何回、この蒸し暑くて堪らない、でもどこまで突き抜けるような空の青さと白い入道雲の季節を、迎えることが出来るのだろうと。
仮に、僕が80歳の12月(よりによって師走)で死ぬとしよう。(最近は「人生100年時代」とか言われているが、僕は正直ピンと来ていない。)
今年、僕は26歳で、もう26歳の夏は既に終わってしまった。
すると、残りの夏は、あと27歳〜80歳までの計54回しか残っていないことになる。
こうやって、残りの回数を具体的な数字で意識した瞬間に、どうしようもなく焦燥感に駆られてしまう自分がいるのだ。きっと皆んなそうでしょう?
あと54回しか夏が来ないということは、夏の甲子園も、淀川の花火大会も、フジロックも、夏のコミケも、どれだけ老体に鞭打って、ついでに変な薬も打ってアヘ顔で頑張ったところで、後54回しか行くチャンスは巡って来ないということになる。
ちなみに夏の甲子園は、個人的にはそんなにどうでも良いし、淀川の花火大会も、人が多過ぎてもう正直勘弁って感じだけども。夏のコミケは臭いしな。
日常をやり過ごす中で、「まだ大丈夫」と有耶無耶にして先送りにしてしまうことってよくあるけど、こうして数値化された「54回」という客観的事実は、もう圧倒的で逃れようがない。そして、無為に過ごした今年の夏を後悔せずにはいられないのだ。
人間というのは、いつだって「後悔先に立たず」の生き物だなと我が身を振り返り、痛感させられる次第。
でも、それでも。
平成最後の夏は、今までのどの夏よりも、豊かな時間を過ごせたと心の底から思っている。
なぜなら、今年の夏は、ひとりではなかったから。
僕にも、大切に思える人ができた。
大切な人と過ごす初めての夏は、沢山の汗と笑顔に溢れ、その記憶は、例年にも増してジリジリと蒸し暑くて堪らない、でもどこまでも突き抜けるような空の青さと入道雲の白さと結びついている。
平成最後の夏は、僕にとって、大切な人と過ごす初めての夏だった。
そして平成最後の夏は、どこまでも平凡で、でも忘れることのない、愛すべき青い記憶となって、僕の中に遺り続ける。焼き付いたフィルムのように。
結局僕も、センチメンタルな人間のひとりだった。それだけのことなのだ。
次は、夏にあった出来事を、もう少し詳しく写真と共に振り返りながら、平成最後の夏の棚卸をしてしまいたいと思う。