これからの話をすると

平成最後の年に、平成生まれの申年が始めたブログ

日々の雑記 11/5(月) 朝 の場合

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電車という空間は、不思議だ。

 

座席に座ると、席が向かい合わせになってるせいで、自然体で前を向くと、向かいの人と目が合ってしまう。

 

でも、何となくそれはお互い気まずいので、少しだけ視線をずらしたり、目の焦点をぶらしたり。

 

「私は、何となしに、窓の外の景色を眺めてますよ〜」だったり「私は、考え事をしてますよ〜」みたいな風に装うことが、すっかり習慣化してしまった自分に気が付く。

 

前を向くことができないというのは、生き物として、結構居心地が悪いことだと感じるのだ。

 

ただ、現代は、スマートホンという文明の利器がある。良かったな、現代人。

 

これ幸いと、今朝も顔をうつむかせて、あてもなくスマホの画面上を、指と目線を泳がせるのであった。

 

1億総ストレートネック社会の到来も、目前だ。

 

今日は帰りに整体に寄ろう。

 

 

 

 

 

平凡だった平成最後の夏

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なぜ夏はこんなにもセンチメンタルになるのだろう?

そんなことをボンヤリ考えていたら、 気付けば「平成最後の夏」は終わった。

 

周りの平成生まれの友人の中には、センチメンタルさからか(このままヌルっと終わらす訳にはいかなかったのだろう)、写真展を開く人や、はたまた平成生まれ限定の一夜限りのクラブイベントを開いたりだとか。そういうことをする人たちがいたことを覚えている。貴い行いだなと思う。

 

そんな様子を傍から見ていた僕は、何をしていたかというと、特別なにをする訳でもなく、27回目の夏を過ごした。

 

正直少し後悔もしている。けれども、それは平成最後の年だったのに、というようなその時限りのセンチメンタルさから来ているだけでは無いとも思っている。

 

最近、夏を迎える度に思うことがある。

 

あと人生で何回、この蒸し暑くて堪らない、でもどこまで突き抜けるような空の青さと白い入道雲の季節を、迎えることが出来るのだろうと。

 

仮に、僕が80歳の12月(よりによって師走)で死ぬとしよう。(最近は「人生100年時代」とか言われているが、僕は正直ピンと来ていない。)

今年、僕は26歳で、もう26歳の夏は既に終わってしまった。

すると、残りの夏は、あと27歳〜80歳までの計54回しか残っていないことになる。

こうやって、残りの回数を具体的な数字で意識した瞬間に、どうしようもなく焦燥感に駆られてしまう自分がいるのだ。きっと皆んなそうでしょう?

 

あと54回しか夏が来ないということは、夏の甲子園も、淀川の花火大会も、フジロックも、夏のコミケも、どれだけ老体に鞭打って、ついでに変な薬も打ってアヘ顔で頑張ったところで、後54回しか行くチャンスは巡って来ないということになる。

ちなみに夏の甲子園は、個人的にはそんなにどうでも良いし、淀川の花火大会も、人が多過ぎてもう正直勘弁って感じだけども。夏のコミケは臭いしな。

 

日常をやり過ごす中で、「まだ大丈夫」と有耶無耶にして先送りにしてしまうことってよくあるけど、こうして数値化された「54回」という客観的事実は、もう圧倒的で逃れようがない。そして、無為に過ごした今年の夏を後悔せずにはいられないのだ。

人間というのは、いつだって「後悔先に立たず」の生き物だなと我が身を振り返り、痛感させられる次第。

 

でも、それでも。

平成最後の夏は、今までのどの夏よりも、豊かな時間を過ごせたと心の底から思っている。

 

なぜなら、今年の夏は、ひとりではなかったから。

僕にも、大切に思える人ができた。

大切な人と過ごす初めての夏は、沢山の汗と笑顔に溢れ、その記憶は、例年にも増してジリジリと蒸し暑くて堪らない、でもどこまでも突き抜けるような空の青さと入道雲の白さと結びついている。

 

平成最後の夏は、僕にとって、大切な人と過ごす初めての夏だった。

そして平成最後の夏は、どこまでも平凡で、でも忘れることのない、愛すべき青い記憶となって、僕の中に遺り続ける。焼き付いたフィルムのように。

 

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結局僕も、センチメンタルな人間のひとりだった。それだけのことなのだ。

 

 

次は、夏にあった出来事を、もう少し詳しく写真と共に振り返りながら、平成最後の夏の棚卸をしてしまいたいと思う。

平成最後の年に

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はじめまして、こんにちは。こんばんは。

当ブログの管理人のettyGXと申します。

 

平成最後の年、この期に及んで、なぜかブログを開設してみたくだりとなります。

 

平成生まれの申年。ゆとり世代。失われた20年世代。

 

何とでも形容して貰って構わないのですが、僕が青春を過ごしたのは紛れも無くこの平成という時代でした。

 

そんな平成生まれ平成育ちの僕が、これから何を考え何を感じ日々生きていくのか。

平成という時代の終わりだからこそ、何の変哲も無い一市民として生きる自分自身の声を、アーカイブして遺しておきたいという気持ちが強くなり、こうして始めることにしました。

 

大きな声に掻き消されて、埋もれてしまわないように。

 

 

写真を撮ることや歌うことが好きなので、そんな自分の趣味も交えつつ、日々感じたことを記録していけたらなと思っています。

 

それでは。